ジャパンハート・佐藤様にインタビュー(前編)

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みなさん、こんにちは!本日はSHIFTナビということで、特定非営利活動法人ジャパンハートの事務局長・佐藤様と丹下さんの対談をお届けします。ジャパンハートは丹下さんが支援し、SHIFTとしても活動を応援している非営利団体であり、最高顧問である吉岡秀人先生(小児外科医)が自身の海外医療の経験をもとに、医療支援活動のさらなる質の向上を目指して設立した「日本発祥の国際医療NGO」です。今回は、ジャパンハートの活動内容や目的についてなど、その熱い思いを改めてお届けするべく、前編・後編に分けてお届けいたします。


丹下 大

丹下 大(たんげ まさる)
2005年株式会社 SHIFT を設立。2010年からソフトウェアテスト事業に舵を切った後は、今日まで爆走。2014年には東証マザーズへの上場を果たすが、その夢は終わらない。

佐藤 抄

佐藤 抄(さとう しょう)
2011年の8月にジャパンハート入職。総務・広報として東京事務局の体制を整え、支援事業の拡大を支える海外事業部長代理、ファンディングと新規事業の立ち上げを行う事業推進部を歴任後、2017年3月、事務局長に就任。

私自身、国際協力の世界に不信感を持っていたんです

丹下 大

今日はお忙しいところ、弊社までお越しいただきありがとうございます。

佐藤 抄

いえ!こちらこそ貴重なお時間をいただきましてありがとうございます。今日はよろしくお願いいたします。


丹下 大

よろしくお願いします。早速ですが佐藤さん、簡単に自己紹介をお願いできますか?

佐藤 抄

はい。私は、ジャパンハートには2011年の8月に入職しました。事務局立ち上げメンバーと言っても良いかもしれません。少し私自身のバックグラウンドの話をすると、もともとアートの世界が好きで、大学ではグラフィックデザインを学んでいました。卒業後アート・マネジメントの会社に就職したのですが、仕事は非常に面白いものの環境がかなりハードで、3年ほどが経ったときに離職し、スタイリストやフォトグラファーの所属する事務所の、事務職に転職しました。事務職に就いているときに東日本大震災が起こり、ジャパンハートのボランティアで2011年4月に仙台の事務所に行ったのが、現職に就くことになったきっかけです。


丹下 大

なるほど、そういうことなんですね。

佐藤 抄

はい。当時たまたまジャパンハートが事務局のスタッフを必要としているタイミングで、一緒にやらないかということで声をかけられて。震災があって、自分自身もこれからどうやって生きていこうかというのは考えていましたし、やりたいと思える仕事だったので転職を決意しました。同年8月の8日まで前職の引継ぎを行い、翌日にはジャパンハートに出勤するというスピード感で(笑)。


丹下 大

めっちゃ早いですね(笑)。少し遡りますが、佐藤さん、生まれはどこなんですか?

佐藤 抄

港区の、南青山です。


丹下 大

(笑)!ヤバい、都会っ子だ。しかもド真ん中じゃないですか(笑)!

佐藤 抄

確かに周りからは「都会っ子だねと」言われました。でも、良いところばかりではなくて、都会過ぎてなかなか遊ぶところがなくて空き地を探したりしていましたね、ドラえもんみたいな(笑)。


丹下 大

スゴいっすね。で、大学に行ってデザイン事務所に入って、事務職に転職して、ボランティアに行ったと。ボランティアに行こうと思ったのはどうしてですか?

佐藤 抄

東日本大震災の際にジャパンハートのボランティアに参加した件の詳細は、また後ほどお話しするとして。もともとの背景からお伝えすると、アーティストが開催するチャリティコンサートやファンからの寄付金をいろんな人道支援団体に寄付をするという活動をやっている財団があるのですが、その財団のトップを母が務めていたんです。しかし、母は会社経営もしていたので、なかなか現地にも行けないという状況でもありました。一方で、人からお預りしている大切な支援金をどこに寄付するかというのは慎重に、質を高く、気合を入れて決めなければならない。そこで、「あなた暇なら現地に行って活動を見てきてよ」という母の声がけもあり、高校生くらいのときからネパールとかミャンマーとかいろいろな活動地を訪問させてもらっていたんです(笑)。難民キャンプとか。そんな中で、「今度支援対象にしようと思っている団体があるからそこを見てきてよ」と言われて、2004年にミャンマーのジャパンハート活動地であるワチェ慈善病院で出会ったのが、現・最高顧問であり医師でもある、吉岡秀人でした。


丹下 大

2004年だと、ジャパンハートってできてからどれくらいですか?

佐藤 抄

まさに設立年です。


丹下 大

お母様の目利きがすごいですね。できた年にいきなり「お金を入れるかもしれないから見てきて」って(笑)。

佐藤 抄

いえいえ。と言うのも、以前吉岡は別のNGOにもいて、その団体からの紹介を受けて支援することになったという感じだったんです。「すごくお金に困っているんだけど、良い活動をしている人がいるからどうにかしてくれないか?」という感じでご相談をいただいて。それで私が向かったんです。当時23歳とかで。そこから財団がジャパンハートを支援することになったんですが、その時は、まだ私はジャパンハートに入職しているわけではありませんでした。でも、ミャンマーの病院での吉岡との出会いは、今でも私の原動力になっています。


丹下 大

お、それはどんな?

佐藤 抄

それまでにいくつか人道支援の現場を見てきて、それぞれの現場で活動しているNGOのスタッフだったり国連のスタッフだったり、関わる人たちみんなが人のために何かをしたいという強い思いがあって、その上能力も高いという、すごく魅力的でいきいきとしている人たちばかりで。自分の中ですごく惹かれた世界だったんですよね。一方で、仕組みとしての「国際協力」っていうのが、うまくビジネスとして機能していないんじゃないかとも思っていたんです。


丹下 大

なるほど。

佐藤 抄

私が見た限りではありますが、必要な物資が必要な場所に届いていないというのも何度か目にしましたし、現地で受け入れられないような状態でそのまま山積みになっていることを目にすることもありました。


丹下 大

「受け入れられない」?

佐藤 抄

はい。例えば「栄養食品の寄付物資」などがそうです。日本ではよく知られている食品であっても、現地の人は文化だったり宗教だったりで、とてもじゃないけど食べられない、ということがあったり。他にも、「難民キャンプ」と明確に区分されているエリアの子どもたちは衣食住や教育支援を受けることができるけれど、そこからほんの少し外れたエリアの子どもたちは小さなころから労働力として茶畑で働いていて、当然学校にも行けず教育を受けられない――そんな光景も目にしてきました。そうしたものを目にする中で、本当に支援をしたいという人たちとこれだけ能力もある素敵な人たちがいて、資金があって、どうしてうまくマッチングができていないんだろうと、私自身、国際協力の世界に不信感を持っていたんです。あくまで、この時点の私が見た情報からの偏った思考だったかもしれませんが。


丹下 大

うん、うん。

佐藤 抄

そして2004年、ミャンマーでジャパンハートに出会って、活動に参加して、そこで投資したお金が生み出した支援が、きちんと丁寧に現地で還元されているというのを目の当たりにしたんです。医療従事者がいて、病や怪我を抱えた患者がいて、治療を受けて笑顔で帰っていく子ども達や家族を目にして。それは私にとって、とても衝撃的なことでした。日本人の医療従事者が主体となってこんなにシンプルでダイレクトな活動をしているんだということにとにかく驚いたとともに、素晴らしい活動をしている団体だなと感じました。そしてもう1つ、そこでの吉岡秀人との出会いが今でも私の原動力となっている理由があります。私は10歳のときに父親を肺がんで亡くしているのですが、そのころから医療に対しての不信感や怖さというものが強くありました。特に今と違って当時は医師と患者の関係性上、医師の地位が高くて、患者自身や患者の家族の気持ちがあまり配慮されていないような状況を、子どもながらに見ていたんですね。医療のあり方を考えたときに、“しのびない”というか、人の尊厳というものが守られていないように感じていましたし、それが自分の父親や、大切な人であったことがとてもショックでした。そういった子どもながらに感じていた不信感が、吉岡の活動する姿を目にすることで、医療機器や道具が十分でないなど環境に制限があったとしても、人の尊厳を尊重している医療を体現している人がいるんだと、救われたような気持ちになったんです。そうして吉岡のファンになり、2011年3月に吉岡にコンタクトをとって、東日本大震災のボランティア活動に参加するために仙台に1週間、仕事を休んで向かいました。と言っても1週間というのはとても短期的な関わりで、自分の中でそれだけではもう満足ができなかったので「これはもう、やるしかないな」と。


国を支える人材をどう育てていくのかを考えないといけない

丹下 大

素晴らしい。素晴らしすぎるエピソードですね。もう取材終わり!って感じでも良いくらいです(笑)。じゃあ違う方向でいろいろ聞いてみようかな?その前に、ジャパンハートと僕の出会いの話をしましょうか。

佐藤 抄

ジャパンハートとSHIFTさんの出会いでいくと、IVS(Infinity Ventures Summit)きっかけですよね?


丹下 大

ですね。ただ、それ以前に僕はテレビ番組「情熱大陸」で、吉岡先生のことを2回ほど拝見していて。もともとすごく気になってる人ではあったんです。その後IVSというイベントで登壇されていて、こういう世界に吉岡先生のような方が来るんだというのが新鮮でしたし、感銘を受けましたね。僕は会社経営をしていて、資本主義のやり方が非常に効率的で良いなと思っているんですけど、そのやり方をNPOとか行政に活用したいなという思いがずっとあったのもあって、このメソニックビルに入居することになった2014年1月、「新オフィスのお披露目会」でお話しいただきたいなと、お忙しいところ無理を言って吉岡先生に弊社までお越しいただいたのが最初の接点です。その後、2016年にも、僕の所属しているEOという会関連のイベントで、弊社でご講演いただきました。……さて、話は少し変わりますが、ジャパンハートの活動内容の全体像をお話しいただけますでしょうか?お金の話から入ってしまって申し訳ないんですが、寄付金額って毎年どれくらいでしたっけ?

佐藤 抄

寄付金額は年間2億4,000万円くらいですね。これが運営資金です。


丹下 大

その内訳って、先ほどおっしゃっていたアーティストの基金由来のお金が多いんですか?

佐藤 抄

いえ、そんなことはありません。そもそものジャパンハートの収入源の話をすると、「寄付」「事業収入」「助成金」という3種類があって、これらをすべて計上すると約2億8,000万円になります。24%くらいが事業収入で、それ以外が寄付です。また、20%ほどの大口支援者の方から全体の80%の金額の寄付をいただいています。病院を建てるとなると大口の寄付も増えたりはするので、寄付の金額は年によって波がありますね。助成金はほとんどいただいておりません。


丹下 大

そういう感じなんですね。収入である2億8,000万円は、毎年使い切っている感じですか?

佐藤 抄

いいえ。現在はなんとか一部を貯めることができています。総額でいうと2億4,000万円ほどですね。非営利団体がそうした内部留保的なものを持っているのはどうかという議論もあったのですが、例えば大きな災害などで支援活動が止まってしまうような危機に陥る可能性がないわけではないということを考えると、それくらいはあったほうがいいかなという結論に至りました。


丹下 大

なるほど。素晴らしいですね。トータル何人くらいが寄付をしているんですか?

佐藤 抄

約3,000人です。小口の寄付の方でいうと「マンスリー会員」という方と「里親」という方がいまして、その方々がトータルで毎年2,000万円程度を寄付してくださっています。マンスリー会員は、自動で課金される月額制度みたいなイメージですね。この方々にいかにリピートしてご支援いただけるかというのも非営利団体が継続して支援をしていく上では重要で、2013年以前はこの制度もなく、本当に毎年いくら寄付金をいただけるかもわからないというような状況で運営していました。そんな感じで、まだまだですがなんとか運営しているという感じです。


丹下 大

大変ですね!でも、そういうのは明確にしていった方が良いですよね。テレビに出ると寄付が増えて、出なくなると寄付がなくなるという形では、吉岡先生がずっと講演しなきゃいけなくなっちゃうし、それって本末転倒じゃん、っていう。ずっとサスティナブルな仕組みができるといいなと思っていたので、少しほっとしました。今やっている支援の内訳ってどんな感じですか?拠点で言うと、何ヵ国あるんでしょうか?

佐藤 抄

国で言うとミャンマー、カンボジア、ラオス、この3ヵ国は医療活動の拠点を持っていて、主に貧困層を対象として、無償で診療と手術を行なう、医療支援を行っています。拠点である病院に来ていただくことももちろんそうですし、僻地に関しては、こちらから訪問をする巡回診療も行なっています。


丹下 大

その医療行為を行う3ヵ国で、年間いくらくらいかかっているんですか?

佐藤 抄

全部で1億9,000万円くらいですかね。医療活動以外も含まれていますが。


丹下 大

なるほど。いや、すみません、お金の話ばかり聞いてしまって。ただ、みんな非営利団体というものがどういうもので、どこにお金がかかるのかっていう構造から理解した方が、透明性があって共感できると思うんですよ。

佐藤 抄

そうですよね。ありがとうございます。


丹下 大

一番注力しているミャンマーは、医療支援の他に何をしているのでしたっけ?

佐藤 抄

ミャンマーでは、医療活動の他に子どもたちの養育施設「Dream Train(ドリームトレイン)」の運営、それから「視覚障がい者自立支援」という、視覚障がいのある方の医療マッサージ師としての自立支援を行うなどしています。こちらは今まではトレーニングだけをしていたのですが、現在取り組んでいるのは、マッサージ師資格化のための法整備です。現在は法整備ができていないので明確な資格として認められておらず、自立のための明確なスキルとして利用できるようになっていないんですね。そういった視覚障がい者の方々の技術や権利を守るために、資格化委員会を立ち上げて、ミャンマー政府関係者の方と連携をとり、自立支援に取り組んでいます。


丹下 大

なるほど。素朴な疑問なんですが、吉岡先生って1日何件くらい手術をしているんですか?10件くらい?

佐藤 抄

多いと1日25件くらいですね。ずっと拠点にいられるわけではなく、1ヵ月のうち2週間くらいしかいないのでそこに集中的に手術を当て込んでいます。


丹下 大

25件!すごいですね。1手術あたりいくらくらいの費用がかかるんですか?

佐藤 抄

ミャンマーだとざっと1万円くらいでしょうか。実は、現状ミャンマーが一番安く手術ができているんです。ミャンマー人看護師のスタッフの質が高く、通常4~5人の手が必要なところを2~3人でできたりするんですね。カンボジアなどの他の国だとまだ病院ができたばっかりなので、若い看護師見習いの子たちを育成している段階で、人件費とかもそれなりにかかってきます。


丹下 大

なるほど。でも、1万円寄付したら1人の人の手術ができるというのは、寄付のしがいがありますね。子供のやつ、Dream Trainってあったじゃないですか?何歳くらいの子たちがいるんでしたっけ?

佐藤 抄

今一番下の子だと5歳ですね。上は18~20歳くらいまでです。施設をオープンしたのが2010年で、開所当時に入所した子どもたちが成長してきているので、比率的には15歳以上の子が多くなっています。施設の目的が彼・彼女らの自立なのですが、やっと上の子たちが自立をし始めるころかなという感じですね。今は170から180人くらいの子たちがいて、職業訓練や進学など、それぞれが目指す自立をサポートすることに注力しています。


丹下 大

その施設専門の寄付もありましたよね?

佐藤 抄

はい。先ほども少しお話に出しましたが、「里親制度」というのがあって。今は里親さんが毎月5,000円から1万円ほど寄付をしてくださっています。基本的に1人の子供に対して1人の里親という形をとっています。


丹下 大

そう!だから俺ね、その施設にいる子全員に里親として寄付したいなと思ったんだけど「いや、丹下さん、もう全員里親はいるんで」って言われて(笑)。

佐藤 抄

ありがとうございます(笑)。ただ、そのようにお断りするだけだと里親の方以外のその施設への寄付の機会を奪ってしまうことになるので、そのために他の方にもご支援いただけるように「サポーター制度」を設けていますのでよろしければぜひ!


丹下 大

(笑)。そう言えばたしか、その施設の中にジャパンハートの影響を受けて医療の道に進みたいという子もいるんですよね?

佐藤 抄

看護師になりたいという子がいます!うちがせっかく医療団体なので、興味を持ってもらえるように病院などに連れて行って、看護師見習いをしてもらったりしているんです。


丹下 大

すごく良いことですよね。

佐藤 抄

はい。Dream Trainもそうなんですが、ミャンマーがどんどん経済発展していくことを考えると、衣食住を支えるだけではなく、国を支える人材をどう育てていくのかということを考えないといけなくて。そこはこれからの課題ですね。今は成績が上がるための十分な取り組みができていないので、例えば優秀な先生を雇ったりとか、施設内でも十分な学力が担保できるような環境を整えたりとか。そのあたりは現在模索している感じです。


(続きは後編!)
※取材内容はインタビュー当時のものです

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