2021年10月29日、「ビジネスを『賢人』から学ぼう」をキャッチコピーに、オンラインで開催された「SHIFTゼミナール」。そのなかで、Sansan株式会社の代表取締役社長 CEO寺田親弘氏をお招きし、丹下と「密談」を行いました。クラウド名刺管理サービスをはじめ、働き方を変えるDXサービスのリーディングカンパニーを築き上げた寺田氏は、何を語ったのか。そのポイントをまとめていますので、ぜひご覧ください。
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どんな「密談」が行われたのか。まとめはこちら!
丹下から最初の質問:起業志向がありつつ、大手総合商社に就職した理由は?
- まずは、寺田氏が自己紹介
- 大学卒業後、もともと起業志向だったが大手総合商社に就職し、8年間勤務
- IT系の部隊に所属し、シリコンバレーに行ったことも
- 海外のテクノロジーを日本で展開する業務を担当
- 2007年、30歳のときにSansan株式会社を創業
- 「キャリアのほとんどをSansanのなかで過ごしている」と寺田氏
- ここで、最初に就職した理由を丹下が質問
- 1998年頃は、起業したい人がとれる選択肢があまり確立されていなかった
- 「5~10年働いてから起業しよう」という想いがあり、大手総合商社に就職することに
- 総合商社では自分の希望がかなり通り、「自由にやらせてもらっていた」と寺田氏
<<シリコンバレーでの業務について>>
- 寺田氏はシリコンバレーに1年半ほど赴任し、全米のベンチャー企業をひたすら回っていた
- 主に、日本に展開するアメリカ発ソフトウェアの開拓を担当
- コールドコールをかけてアポをとり、100社ほどを回った
- 「面白いと感じるスタートアップはたくさんあり、いくつか日本で展開したがあまりうまくいかなかった」と振り返る寺田氏
丹下からの質問:Sansanを起業したとき、ビジネスモデルは見えていたのか?
- ここから丹下が、Sansan起業時について質問
- 20代後半から「そろそろ辞めないと、このまま起業せずにいってしまう」と思いはじめていた寺田氏
- 当時は一生懸命仕事をしていて、一定の評価も受けていた
- さらにアメリカへの転勤の話も出ていたが辞めると決意
- 辞めてから、仲間や起業のネタを検討
- まずは中国で働いていた大学の同級生を訪ね、「一緒にやろう」と声をかけた
- 以前から考えていた名刺サービスの話をしたところ、そのアイデアで起業することに
- 最初に考えたアイデアから、横展開はあっても根幹は変わっていない
2013年から一気に資本調達を進めた
丹下からの質問:最初のプロダクトはどのようにつくっていった?
- 寺田氏は「名刺を早く簡単にデータ化するにはどうしたらいいか」「あっていいサービスなのに、なんでないのかな」を突き詰めていった
- そうして気づいたのは、自分が名刺ホルダーに名刺をしまうより「簡単」で、99%「正確」で、1日以内程度の「速さ」を満たせば、バリューが一気に立ち上がるのではということ
- 丹下は当時Sansanのプレゼンを受けた
- そのプレゼンは、実際にサービスを体感して感動していたところに、導入コストも安いという流れ
- 丹下はこれに対して「売り方が新しい」と感じ、一発でお客様を落とす印象を抱いた
- 「当時はアポイントメントをたくさん入れ、苦労もしていた」と寺田氏
丹下からの質問:当時、営業のターゲットをどのように想像していたか?
- いまほど営業や経営のナレッジが体系化されていないため、最初は見よう見まねだった
- ある程度小規模の企業に売り込み、そこから徐々に大企業へ
- そのなかでプライシングモデルやビジネスモデルを変えたことも
- プロダクトマーケットフィットを一生懸命探す日々だった
- 当時はSaaSという考え方もない
- いまと違い、リカーリングのやり方だと売上の見え方がいまいち
- システムインテグレーター的なものの売上との違いを理解してもらえなかった
- まさに黎明期といった感じ
- 知識ではなく、経営実感としてライフタイムバリューなどの考え方をつかんでいた
- 経営実感として会得していたことが、のちのち体系化された知識としてアメリカから日本に流入してくるように
- 投資家やステークホルダーを説得するため、アメリカのサービスや情報に注目
- 「オンプレで売ってほしい」「カスタマイズしてほしい」という要望はいまよりももっと多かったが、絶対にそこには応えないという方針で進めることを心がけていた
丹下からの質問:最初の資本政策はどうしたのか?
- 「Sansanの資本調達はベールに包まれている」と丹下
- そこで、Sansanの資本政策について質問
- 寺田氏は「2007年(創業)~2012年と、2013年~2019年(上場)でフェーズがわかれている」と回答
- Sansanが最初の6年間で外部調達したのは5,000万円
- 丹下はその額の少なさに「衝撃!」と驚きの声
- その頃、寺田氏は黒字を出すために「爪に火を点すような」経営をしていた
- 2010年を過ぎた頃からベンチャーキャピタルマーケットが大きく変わり、2013年から2019年で120億円ほど調達
- ライフタイムバリューが高いサービスを売っているので、足元は赤字になってもいいとわかっていた
- そこで、投資家に受け入れられると見込み、2012年までとは打って変わって赤字に振り切った経営に切り替え、資金調達に乗り出すことに
- 「このまま仕上がっていっても、見たことがあるようなつまらない企業ができあがる」という想いを払拭するべく、資金調達をし、CMも打っていった
<<SansanのCMについて>>
- 「あのCMはみんなが参考にした」と丹下
- 寺田氏も「BtoBのSaaSでCMを打つというのは、先鞭をつけられた実感がある」と同意
- CPAは、200件ほど増えればペイするという計算で考えた
- 「2013年に調達した5億円ほどをそのまま全部CMに突っ込んだ」と寺田氏
- このままデジタルマーケティングを積み上げていっても、マーケットのポテンシャルに対してスピードが出ないと感じるように
- 当時から会計系のソフトウェアなどはCMを流しており、その会社に話を聞いてみると、想像よりも低予算で制作できることを知り、CM制作を決意
- 「クリエイティブが効けば届く」と感じ、著名クリエイターにコールドコールをかけて制作
- CMを打つことには否定的な社員もいたが、あまり気にしていなかった
- 「歴史に残る会社は、やっぱりエポックメイキングなことしないと!」と丹下
寺田氏自身が名刺のデータ入力をしたことも
丹下からの質問:CMを打ったのは、広報やブランディング、集客に注力していたからなのか?
- 「3期連続黒字から打って変わって、毎年お金がない状況になった」と寺田氏
- 2012年に提供を開始した名刺アプリ『Eight』も大金を必要とするサービス
- しかし、広告で成果を出せれば黒字になる構造だったため、コントロールできている実感があった
- 丹下もその頃のSansanに対して「そろそろ上がってもいい頃なのに…」と感じていたと当時を振り返る
- 寺田氏は「ある程度自由に投資をしても黒字になる」という段階になってから上場することに決めていた
丹下からの質問:組織づくりなど、意志決定していくうえでほかに苦労したことはあるか?
- 寺田氏はSansanのビジネスにおけるユニークで大変なポイントとして、「名刺をさばく」というオペレーションをあげる
- いまはAIなど利用して自動化している部分も多いが、かつては労働集約型だった
- 名刺を正しくデータ化しないとシステムとして価値がない以上、二重入力をするしかない
- 大型顧客をとれても裏側は人海戦術のため、現場からは「無理です!」と悲鳴が
- 「みんなで1日50枚打つぞ!」と、寺田氏自身がデータを打ち込んだことも
- とにかくスケールできなかった
- 「そんなに泥臭くやってたんですか!」と丹下も驚愕
- スケールアウトすることも、スケールインすることもあるため、どうやってキャパシティーを柔軟に変えながら、安価かつセキュアに運用するかということに2015年頃まで悩まされた
- 2010年頃は、取り込んだ名刺の反映に2ヶ月かかったことも
- クラウドソーシングや技術の進展など、いろいろなものを組み合わせて乗り越えていった
- 近いサービスも出ているなかでSansanが抜きん出られたのは、この入力のスケーラビリティを乗り越えられた強みがあるから
洗練されたフィロソフィーは採用への意識から生まれた
丹下からの質問:売上が順当に伸びているのは、まだまだマーケットがあるからなのか?
- Sansanの順当な売上高の成長を見て、丹下が質問
- 寺田氏は「まだまだ名刺は使われているので、ホワイトなマーケット」と分析
- さらにいま、横展開してさまざまなマルチプロダクトがある
- 「正直、もうちょっと頑張らなければいけない」と思わず本音も
丹下からの質問:メンバーの社内勉強会への注力や、緑あふれるオフィスなどのコンセプトは何なのか?
- 「採用を意識した時に、そういうカルチャーや場が必要だと思った」と寺田氏
- 社内勉強会などをエンカレッジする制度などをつくっていった結果、文化として定着
- 丹下は2008年ごろからSansanのフィロソフィーが洗練されている印象をもっていた
- その背景について丹下が質問
- 寺田氏は、BtoBの企業としてブランディングやインターフェイスを気にしていた
- 採用を意識しており、「コーポレートブランドをどう立てるかは採用への投資」と考えた
- 「そういうのを意識しないと会社って伸びないんですよね」と丹下も同意
まだまだDXされていないものはたくさんある
丹下からの質問:『Bill One』はなぜはじめた?
- Sansanは大きなサービス群を展開
- なかでもクラウド請求書受領サービス『Bill One』をはじめた理由について丹下が質問
- 「自分たちが新規事業や新規プロダクトを考えるときのテーマは大きくわけて2つ」と寺田氏
- 1つは、「出会いからイノベーションを生み出す」というミッションドリブンで考えること
- もう1つは、自分たちのテクノロジーやノウハウをどうやって横展開するかということ
- 自分たちがもっているノウハウやテクノロジーは、名刺でやったようにアナログとデジタルを力技でもつないでいくことである
- その観点で見たときに、「まだまだDXされていないものはたくさんある」という発想でプロダクトをつくっている
- たとえば『Bill One』の場合は請求書
- 請求書はフォーマットがそろわず、受け取った側では紙として処理されていることが多い
- その問題を解決するために、「デジタルツールをお客様に導入してもらう」という発想ではなく、『Bill One』では請求書の受領代行も行うことで、導入企業は取引先に負荷をかけずにデータで受け取ることができる
- それが非常に時代観に合い、成長
- 「すごくわかりやすい!」と丹下
- 寺田氏は「アナログとデジタルの間がつながらないことはいっぱいあります」と強調
丹下からの質問:ログミーを買収した理由は?
- ここで丹下が、「飛び地に見える」とログミー株式会社の買収について質問
- 買収を知ったとき、すごく驚いたという丹下
- 「出会いからイノベーションを生み出す」という観点から考えると、イベントや展示会は名刺が飛び交う場
- 「イベントを支えるテクノロジー領域」に投資している
- ログミーは優れたスピーチや対談などを書き起こしており、イベントビジネス領域といえる
- 加えて、ログミーがもっているユニークさにも惹かれた
- イベントテックビジネスのポートフォリオとしてログミーにジョインしてもらった
丹下からの質問:マイナー出資に積極的な理由は?
- マイナー出資をどんどんしていきたいという意向はない
- グループにジョインしてもらうため、マイナー出資からはじめることがある
- Sansanが培ってきたビジネスのノウハウを共有することも多い
- 「どんどんつながっていくのが素晴らしい」と丹下
「Sansanがいないと事業が回らない」状況を目指す
丹下からの質問:なぜ、解約率を下げられるのか?
- 『Sansan』の解約率が低いことについて丹下が質問
- 寺田氏の回答は「カスタマーサクセスの絶え間ない努力が大前提」
- 泥くさいところをかなり頑張っている
- コロナ禍で名刺交換は激減していたため、チャーンレートを注視
- しかし、利用者は『Sansan』を顧客データベースとして活用してるため、簡単には解約しない
- ある種のマストハブとして認知いただけているため、コロナ禍でも解約率は特に上がらず、むしろ中長期的に見て下がる傾向に
- 新機能の追加など、バリューアップもしている
- 丹下も「データベースは強いってことですね!」と感心
- 「解約率は重要な指標」と寺田氏は強調
- ARPUよりバリューがある
- これらを信じて勝負をかけてきた
丹下からの質問:今後の戦略、方向性は?
- 「アナログとデジタルの間をつなぐマストハブのようなものをたくさん積み重ねていく」と寺田氏
- そしてビジネスのインフラ的に、いろいろな企業が気づいたらSansanのサービスを使いながら事業を回している状態をつくりたい
- 「Sansanがないと事業が回らない」と思われることが目指す姿
丹下からの質問:いろいろなサービスをやっていると、他社と重なってくることはどう思っている?
- 「TAM(獲得可能な最大市場規模)が大きいから参入する感覚はない」と寺田氏
- さらに、「相対的なモノになった瞬間に、興味がわかない」と回答
- ユニークな地位をとることを感覚的にも戦略的にも大事にしている
- Sansanと組むことで何かを失うことにならないほど、寡占的な存在でありたい
- マーケットをつくるつもりで領域を広げていく
- 『Bill One』も競合が増えてきているが、そのなかで圧倒的なユニークさを保ちきることができれば、7~8割のマーケットシェアになるはず
働く実験をするため、神山町にサテライトオフィスを設立
丹下からの質問:徳島県神山町に『Sansan神山ラボ』をつくったのはなぜか?
- Sansanは2010年、徳島県神山町に『Sansan神山ラボ』を設立
- シリコンバレーにいたころ、そこでハードに働く人たちがなぜか優雅に見えた
- しかし、自分が起業してみると都心のビルを借りて、そこに人を集めて働いている
- 「これだっけ?」という想いをもっていたとき、神山町を知ることに
- 神山町は2010年頃から、アーティストが集まるなど面白いことが起こっていた町
- そこで、神山町に足を運んだ際、「ここで働く実験をしてみたい」と感じ、古民家を借りた
- 「サテライトオフィス」というものは当時なく、30名ほどの社員のなかで希望者を募集
- まだ会社が小さかったころにその実験を行ったことに「衝撃的!」と驚く丹下
- 「当時は資金調達の前で、お金がなかった」と寺田氏
- 最初に神山町に行くときは、寺田氏もLCCとバスを乗り継いでいったほど
<<『神山まるごと高専(仮称)』の設立について>>
- 神山町に『神山まるごと高専(仮称)』を設立予定
- 寺田氏は当初Sansanとは切り離し、表立ってやるつもりはなかった
- しかし、Sansanとのダブルフルコミットで取り組むことに
- 結果としてSansanのブランドをあげられたため、悪くなかったと考えている
- 「ビジネスではないソーシャルプロジェクトだから取締役会の理解を得やすかった」と振り返る寺田氏
- ここで丹下が、『神山まるごと高専(仮称)』の創業メンバーが名だたる人たちであることについて質問
- 寺田氏は「モノをつくる力で、コトを起こす人」をセンターワードに高専で起業家教育をすること、それも品川や渋谷ではなく徳島県の里山でやることが共感を呼んだのでは、と回答
<<開校に向けた動きについて>>
- 開校資金のために募っていた寄付は集まり、文科省への申請も済ませた
- 奨学金をきちんと設計し、家庭環境に関わらず優秀な人が集まる環境をつくるためにひきつづきお金を集めている
- 集まった寄付金額は21億円にもおよぶ
- これまでSansanのセールスや増資の営業はしてきたが、「寄付を頼むのは全然違った」と寺田氏
- みんな共感はしてくれるが、経済的なリターンなくお金を出してもらうのは大変
- 「嫌われちゃう可能性もありますもんね。やっぱり想いがないとできない」と丹下
- 『神山まるごと高専(仮称)』は2023年4月の開校を予定しており、2022年3月から校舎を建設
- エンジニアリング、デザイン、ビジネスをちゃんと学びながら、モノがつくれるように教育
- モノがつくれるからこそ、コトにチャレンジでき、自分で完結できるようになる、という考えが教育の前提
- いろいろなサービスを仲間とつくり出せる空間になっていくことを思い描いている
チャレンジが連鎖していく社会が一番美しい
丹下の最後の質問:ゼミナールの視聴者にメッセージを!
- 寺田氏は「言い古されているけど、チャレンジするのはいいこと」と回答
- 教育に向き合うなかで、「完成された大人」を気取るつもりはまったくなく、「チャレンジする大人」としてやっている
- 最後に「一人ひとりがチャレンジし、それが連鎖していく社会が一番美しいので、チャレンジしていってほしい」と寺田氏がメッセージを贈り、密談は終了!