丹下さんが、☞人事 上岡さんに聞いてみた。(前編)

  • facebook
  • X
  • hatena bookmark

みなさん、おつかれさまです!執行役員の菅原です。今回はSHIFTで活躍する「シフトビト」として、人事本部 事業人事部長の上岡 隆さんを推薦します!入社後長らくエンタープライズ領域でマネージャーとして活躍した後、現場メンバーの視点を持った事業人事部長として新たな挑戦に臨んでくれています。表立ったガツガツタイプではないけれど、僕がSHIFTでやりたいな・大事にしたいと思っているチームビルディングの在り方を体現している人でもあります。そんな彼が、何を経験し、何を考えて仕事をしているのか……ぜひご覧ください!


丹下 大

聞く人/丹下 大(たんげ まさる)
2005年株式会社 SHIFT を設立。2010年からソフトウェアテスト事業に舵を切った後は、今日まで爆走。2014年には東証マザーズへの上場を果たすが、その夢は終わらない。

上岡 隆

聞かれる人/上岡 隆(かみおか たかし)
2012年12月入社。新卒でSIerに就職し、5年ほどシステムエンジニアとして勤務。退職後、ひとり世界一周旅行へ繰り出す。帰国後はコーヒーショップでアルバイトをしながら、友人とともに保育園事業で起業。2年間の挑戦の後、SHIFTへ。エンタープライズ領域のグループ長などで活躍後、2018年9月より事業人事部長に就任。

業界を変えていくってすごく面白そうだなって思ったんです

丹下 大

上岡くん、今日はよろしく。上岡くんっていつごろSHIFTに入ったんだっけ?

上岡 隆

SHIFTに入社したのは2012年で、当時まだ従業員は300人弱ほどしかいませんでした。時期的には、ちょうどSI企業の案件攻略に着手しようという動きがあったころですね。

丹下 大

前職では何をやってたの?

上岡 隆

直近でやっていたのは保育園の事業(経営)だったのですが、新卒で入社した会社では、システムエンジニアとして勤務していました。5年間くらいですかね。お店でクレジットカードを使うとピンク色のレシートをもらうことがあると思うのですが、あのシステムの保守・開発を担当していました。実際には開発よりも、プライムベンダーとして顧客折衝やベンダーコントロールを担当することが多く、さらに子会社への出向も含めて広く浅く業務にあたっていました。そんな中で、このまま会社勤めを続けていていいのかと思うようになったのが転職のきっかけですね。

丹下 大

で、転職活動の中でSHIFTに出会ったと。他には受けなかったの?

上岡 隆

他にも受けた会社はあったのですが、その会社はいちPMとして入社する……っていう感じだったんですよね。当時SHIFTはまだ品質保証という上流工程からのコンサルティングなどはやっておらず、開発の下流工程であるテストを専業としてやっていた段階だったのですが、そこから業界を変えていくってすごく面白そうだなって思ったんですよね。自分自身がすごく苦労してきた部分でもありましたし、変えていける事業だとも思いましたし。

丹下 大

おお!変えていけると思った?

上岡 隆

思いましたね。従来のPMって語弊を恐れずに言ってしまえば、ある種「そこにある仕事をやるだけ」だと思っていたんですよね。

丹下 大

まあねえ、思考の浅いPMだとただのタスク管理で終わってしまったりするし。それだと世界は変わらないよね。そうじゃなくてそこからのお客様との交渉とか、折衷案の作り方とかが本当のPMの仕事なんだと思うんだけどね。

上岡 隆

そうですね。

丹下 大

ちょっと話が戻るけど、みんな知らないと思うからぜひ聞いてみたいんだけど上岡くん、新卒で入社した会社を辞めた後に保育園事業で起業してるよね?なんで保育園をやろうと思ったの?

上岡 隆

新卒で入社した会社には、先ほどもお話ししたように計5年いたのですが、その時から「いつかは起業してみたいな」と思いはじめていたんですよね。それで、いつまでも時間をふいに過ごしても仕方ないなと思ったので、まだギリギリ20代だった29歳の時に、高校時代の友人と2人で起業しようとしたんですけど。何をビジネスにしようかなと考えた時に、その時僕らの手元にあったのが“餅つき”だったんですよ。

丹下 大

“餅つき”(笑)?

上岡 隆

何か小さくてもいいからビジネスをしたいと思ったとき、僕らの手元にあるもの、売れるものは何かを考えたんです。そこで思いついたのが、“餅つき”です。当時僕の実家で毎年のように正月に餅をついていて、道具もあって。なので、そのイベントを企画して売るっていうことを思いついたんですね。実際に営業にも回りましたね。幼児対象に、一緒にそのイベントをやるっていう提案を。

丹下 大

(笑)。いきなり幼稚園とかに行ったの?こんにちはーとかって。

上岡 隆

いきました。それで、断られ続けました(笑)。それでも1ヵ所だけ、インターナショナルプリスクールみたいなところで、50人くらいの規模のイベントをやらせてもらうことができて、ちゃんと売り上げも上げて、1つの成功体験になりました。そこで待機児童の話とか、保育園について困っていると聞いたのが、その後の事業のアイデアになっていきました。

この数万円を溶かすかもしれないというのは、怖かったですね 。

丹下 大

なるほどね。

上岡 隆

当時社会的起業が流行っていたこともあり、社会貢献性の高い「保育園」を事業として選んだのはいいものの、実際に僕ら自身は保育士の資格を持っているわけでも経験がある訳でもなかったので、どこでやろう、いくらくらいでできるのかなど、相当苦労しましたね。まあでもその時点で会社を辞めてしまっているので、やるしかなかったんですけど(笑)。

丹下 大

そうだよね(笑)。貯金はあったの?

上岡 隆

貯金はしていたので、友人と創業資金として50万円ずつ出してNPO法人を設立しました。喫茶店でアルバイトしながら。いろんなところを回ったんですけど、結局、三軒茶屋に事務所を設けて。

丹下 大

保育園作るのって場所結構厳しいじゃない?よく見つけたね。

上岡 隆

足で歩いて、不動産屋とかも回って、最終的になんとか30平米くらいの場所をみつけて。住宅兼オフィスみたいな建物で、保育園の要件、2方向出口とかの要件を満たすのがその物件くらいしかなかったんですよね。それで、2人でそれぞれアルバイトで稼いだ10万円を全部つぎ込みながらその物件を借りて。場所を借りられるまで数ヵ月がかかったんですけど、そこから保育士さんをアルバイトと正社員で雇うのがまた大変で。

丹下 大

どうやって募集したの?

上岡 隆

今の人事の仕事と近いところはありますが、求人広告を出したりしたんですけど、応募が来なくて。新聞広告で一番小さいところを数万円で買ったりして……この数万円を溶かすかもしれないというのは、すごく怖かったですね。

丹下 大

そうだよね、怖いよね。みんな、やってみないとわからないんだよね、人を採用するのがかなり大変なことだって。

上岡 隆

そうですね。でも、その後社内でトラブルがあって、せっかく雇った方も辞めてしまったんですが。

丹下 大

トラブルって、何があったの?

上岡 隆

僕ら自身に保育の知識も保育士としての経験もなかったので、採用した人たちにとってはそのあたりが上手く折り合いつかなかったらしくて。僕らも、やっぱり良い判断をしてあげられなかったなと思いますね。例えば何か備品が必要だって言われても、それが本当に必要なのかどうかわからない。お金もないし、それが無くてもどうするかを考えようという思考だったので。棚が必要なんです!みたいな。

丹下 大

要るの?ってね。棚でね、喧嘩しちゃうんだよね、わかるわ~(笑)。住んでいるというか、見ている世界が違うんだよね。

上岡 隆

そうですね、部屋も狭いしどうするんだっていう。そんな感じで、方針が合わなくて開園前にみんな辞めてしまいました。唯一アルバイトの方だけ残っていたのですが、これでやれるのかと。そのときまだ親御さんと契約してなかったので、これはもう無理だと決断して。開園の2ヵ月くらい前に謝りに行きました。

丹下 大

親御さんの反応はどんな感じだったの?

上岡 隆

「しょうがないですね」みたいな。

丹下 大

そんな感じ!?「え、マジ!?」って感じではなかったんだね。

上岡 隆

僕ら自身も結構落ち込んでいた感じだったので……(笑)。

怖かったのは本当。でも、チャンスだという気持ちが大きかった

丹下 大

なるほどね、良い経験じゃないですか。それで、その後SHIFTに入社と。ITに戻ろうと思ったんだ。

上岡 隆

そうですね。保育園の事業を2年くらいやっていたので、そのあと再就職という感じで。

丹下 大

上岡くんって今の人事に異動するまで、ずっと、5年間エンタープライズ領域に携わってきたんだよね。一番印象に残っていることって何?

上岡 隆

やっぱり1番は初めてマネージャーを担当した案件ですね。入社当初は当時菅原さんが担当していた部門に配属になって、普通に複数案件のPMとして働いていたのですが、1年経ったときの評価面談で、とある案件のマネージャーをお願いしたいというお話をいただいて。前の溜池山王のオフィスに入っていた、コーヒーショップでの面談でしたね(笑)。

丹下 大

おお、そんなところからどうして自分が選ばれたんだと思う?

上岡 隆

たしかそのとき声をかけてくださった元也さんも言っていたと思うのですが、「他にも声をかけたけれど断られた」と。

丹下 大

(笑)。断るってすごいよね。贅沢な話だよね、チャンスもらってるのに。

上岡 隆

はい。まさにそう思って。その案件って当時社内でも「一度担当したら戻ってこれない」みたいな話もあって。ちょっと怖かったのは本当だったんですけど、それでもやっぱりチャンスだという気持ちが大きかったですね。やってみたいなと。

丹下 大

当時マネジメント経験ってあったの?

上岡 隆

全くなかったわけではないのですが、大きくても10名程度の案件のマネジメント経験くらいしかなかったですね。しかも、その案件の中でも知っている人は1人しかいなくて。正社員もまだ5人くらいしかアサインされていなくて。みんなの前で1人立ち上がって自己紹介したり、全員面談したりして、チームビルドというところはすごく意識して入り込みました。メンバーの担当領域の入れ替えなども結構しながら。結果、案件に関わるメンバーの数が、80人から300人になるほどの案件にすることができました。

(続きは後編!)
※プロフィールの所属部署名などはインタビュー時点のものです

この記事をかいた人はこちら